赤外線ディテクタは、物体の温度を、その熱放射に基づいて測定します。医療現場、食品の安全性と品質の評価、有害生物の検出、監視など、様々な領域で広く利用されています。この記事は、Zemax OpticStudio で赤外線温度ディテクタをモデル化する方法と、ZOS-API を使用して較正および測定のプロセスをシミュレートする方法を紹介します。
著者 Csilla Timar-Fulep
Downloads
Introduction
絶対零度より高い温度の物体は熱放射を行い、その強度とスペクトルは、物体の温度に依存します。赤外線温度ディテクタは、この放射を測定し、プランクの輻射の法則に基づいて温度を導き出します。温度計は視野内の平均温度を測定するので、安全な非接触の体温測定に使用できます。これに対して、サーマル カメラは 2 次元のヒートマップを生成するという、より強力な機能を提供するため、ホットスポットや温度勾配に基づいた、機械および電気系統の非破壊検査に応用できます。たとえば、機能不全の部品の特定、表面下の欠陥の検出、加熱または冷却過程における材料の監視などのアプリケーションがあります。この記事では、OpticStudio で赤外線ディテクタをシミュレートする方法、熱放射を記述するために黒体をモデル化する方法、ZOS-API により温度の較正および測定プロセスを模倣する方法を紹介します。
基本設計
温度ディテクタは赤外線放射を収集し解析します。これらの装置は通常、長波長の赤外領域で動作するため、設計プロセスでは特別な注意を払う必要があります。これらの赤外線ディテクタ固有の特徴を考慮しながら、文献で発表されている設計に基づいて温度計とサーマル カメラをモデル化しました。
赤外線光学系の検討事項
赤外線装置の設計では、まず光学材料の選定が重要になります。従来の可視光スペクトルに使用される材料は、赤外領域での吸収率が大きいため、この用途には適していません。したがって、赤外光の吸収率が小さい特別な材料が必要になります。OpticStudio には、そうした材料をまとめた材料カタログ INFRARED.AGF が組み込まれています。さらに、これらの赤外線材料の一部は屈折率が高く、空気/材料の界面でフレネル反射が増加します。この反射光が、赤外光学装置にグレア、ゴースト像、背景雑音などを発生させる恐れがあります。したがって、これらの効果を最小限に抑えるための高品質の反射防止 (AR) コーティングが必要になります。
初期設計
赤外線温度ディテクタが物体の温度を測定する方法を示すために、文献に基づいて 2 つの異なるモデルを OpticStudio 内に作成しました。第 1 のモデルは、AR コーティングを施した ZnSe 平凸ストック レンズで構成される単純な温度計、第 2 のモデルは、カスタム製造のゲルマニウム レンズを使用した、より高性能の熱画像カメラ (サーマル カメラ) の設計です。二重反射ゴースト像は、ピクセルごとの温度測定を歪ませる可能性があるため、ゲルマニウム レンズに I.95 の理想コーティングを施すことで除去しました。文献によると、どちらの設計も最適化は OpticStudio のシーケンシャル モードで実行し、その後 [NSC グループに変換] (Convert to NSC Group) ツールによってノンシーケンシャル モードに変換して、シーケンシャルでは使用できない、その他の熱源モデル化機能のメリットを活用しました。
シーケンシャル設計をノンシーケンシャル モデルに変換する方法の詳細は、次のナレッジベース記事を参照してください。『シーケンシャル面からノンシーケンシャル オブジェクトへの変換』
適用したノンシーケンシャルの機能は、温度較正と温度測定のワークフロー全体を ZOS-API を使用してシミュレートする方法と併せて、次のセクションで詳述します。
赤外線温度ディテクタのモデル
OpticStudio のノンシーケンシャル モードでは、物体からの熱放射を、光源の色を黒体スペクトルに設定することで、簡単かつ正確にモデル化できます。この場合、OpticStudio は、定義された光源の温度に基づいて、指定された波長範囲にわたる真の黒体スペクトルを自動的に生成します。-45℃~+75℃の目標温度で物体から放射される熱のほとんどをカバーできるように、波長を 3 ~ 40 μm に設定しました。この値は、次式で表されるプランクの黒体輻射の法則から求められます。
$$B(\lambda, T) = \dfrac{2 \, h \, c^2}{\lambda^5}\dfrac{1}{\exp\left(\dfrac{h \, c}{\lambda\, k_B T}\right)-1}$$
このスペクトルから適切なサンプルが得られるように、この波長範囲内に均等に分布する 100 個の波長を使用しました。得られるスペクトル分布は、下図に示すように [光源スペクトル プロット] (Source Spectrum Plot) によって視覚化できます。
黒体輻射の角度分布はランバーシアンです。しかし、通常の温度ディテクタは角度空間の極めて狭い領域しかカバーしません。ランバーシアンのように分布角度が広いと、放射光線の数パーセントしかデバイスに到達しないことになります。このため、効率的に光線を追跡して熱画像ディテクタをシミュレートするために、モデルに重要度サンプリングを適用し、光線が強制的にデバイスの方向に向かって追跡されるようにしました。重要度サンプリングの仕組みと用途の詳細は、次のナレッジベース記事を参照してください。『重要度サンプリングを使用して散乱を効率的にモデル化する方法』
重要度サンプリングは、光源オブジェクトに直接適用できないため、平行光線を発射する光源を設定し、その直後にもう一つ面を追加し、その面にランバーシアンの散乱プロファイルと重要度サンプリングを適用しました。これらは、OpticStudio で 光源 (矩形)/(楕円) を使用し、さらに矩形/楕円オブジェクトを追加することで実現しました。散乱面が確実に光源を覆うように、その基準オブジェクトとして光源を設定し、Z 位置を 0.1 mm シフトさせ、X/Y 半幅を光源の X/Y 半幅を参照するピックアップで設定しました。
下図に、温度計の設計モデルの設定を示します。
レンズには標準的な赤外線材料であるゲルマニウムと ZnSe を使用しましたが、OpticStudio のデフォルトの INFRARED.AGF カタログに収録された、これらの材料の波長範囲は、適用する熱放射スペクトルの最大値 40 µm をカバーしていませんでした。この問題を解決するために、使用する材料の波長範囲を拡張した INFRARED_BLACKBODY.AGF を新たに追加しました。
新しい材料とカタログを定義する、段階を追った手順は、次のナレッジベース記事を参照してください。『OpticStudio で新しい材料とガラスを追加する方法』
波長範囲を拡張した新しい INFRARED_BLACKBODY.AGF カタログにより、必要なスペクトルの全域で光線を追跡できるようになります。これによって、黒体輻射の全スペクトル分布を正確にモデル化し、放射される全パワー P を物体の温度と面積に基づいて簡単に計算できました。P は、次式のステファン - ボルツマンの法則から求められます。
$$P=\int_0^{\infty}d\lambda \int_A d\Omega \, B(\lambda, T)=\sigma \cdot A \cdot T^4$$
ここで、σ はステファン - ボルツマン定数です。
$$ \sigma=\dfrac{2 \, k_B^4 \, \pi^5}{15 \, c^2 \, h^3}=5.670374 \cdot 10^{-8} \dfrac{J}{s \cdot m^2 \cdot K^4}$$
一般的な赤外線温度デバイスのスペクトル応答性は、8 ~ 14 μm という長波長の赤外領域に限られているため、今回のシミュレーション結果には、この特定の帯域幅に限定するためのフィルタを設定しました。そのため、分散式の外挿による悪影響は一切発生せず、正確な熱放射のモデル化が可能となりました。フィルタ文字列の X_WAVERANGE(n, a, b) により、オブジェクト #n に到達する、目標波長範囲 (a, b) 内の光線を識別します。
特定の光線を選択するフィルタ文字列の詳細と適用例については、次のナレッジベース記事を参照してください。『Identifying specific rays using filter strings』
温度較正
ディテクタを定性的解析だけでなく、正確な温度測定にも使用するには、装置を温度較正する必要があります。この較正プロセスには、佐久間 = 服部方程式を使用します。これは、完全黒体熱源からディテクタに入射する熱放射量を物体の温度に基づいて予想する数学的モデルです。今回のモデルでは、赤外線温度測定アプリケーションに推奨される、佐久間 = 服部方程式のプランキアン形式を使用しました。
$$ S(T)=\dfrac{C}{\exp\left(\dfrac{c_2}{A \cdot T+B}\right)-1} $$
上式の、A、B、C はスカラー係数、c2=0.014387752 m∙K は、第 2 放射定数、T はケルビン (K) 単位の絶対温度です。モデルの自由パラメータ A、B、C を較正するための手順には、異なる既知の温度で物体を測定する作業が含まれます。装置の較正が完了したら、佐久間 = 服部方程式を逆に使用して、ディテクタで測定された熱放射から、新しい物体の温度を導出できるようになります。
$$ T=\dfrac{c_2}{A \cdot \ln \left( \dfrac{C}{S} +1 \right)}-\dfrac{B}{A} $$
この温度較正の手順を ZOS-API を使用してシミュレートしました。この例では、OpticStudio に .NET を介して接続する、Python API によるインタラクティブ接続を使用して、光源パラメータの変更、ノンシーケンシャル光線追跡の実行、ディテクタからの結果の抽出を行いました。さらに、結果を視覚化するために、Python による曲線フィッティングおよびデータ処理ツールも活用して、プロットを出力しました。
API からの光源設定の変更
温度較正プロセスをシミュレートするために、異なる光源温度におけるディテクタ信号の記録を目指しました。これを実現するために、異なるシナリオをループさせ、各繰り返しで新しい光源温度を設定し、ステファン - ボルツマンの法則により、物体の温度とサイズに基づいて放射されるパワーを調整しました。これに該当する Python コードは次のとおりです。
source = TheNCE.GetObjectAt(sourceNum)
source.SourcesData.SourceColor = ZOSAPI.Editors.NCE.SourceColorMode.BlackBodySpectrum
source.SourcesData.SourceColorSettings._S_BlackBodySpectrum.Spectrum = 100
source.SourcesData.SourceColorSettings._S_BlackBodySpectrum.WavelengthFrom = 3
source.SourcesData.SourceColorSettings._S_BlackBodySpectrum.WavelengthTo = 40
source.SourcesData.SourceColorSettings._S_BlackBodySpectrum.TemperatureK = temp
source.ObjectData.Power = blackBodyPower(source, shape, temp)
次に、これらの異なる温度で光線追跡を実行し、結果をディテクタから抽出しました。ディテクタに感度があるスペクトル範囲、つまり 8 ~ 14 μm だけを解析するために、光線追跡の結果は ZRD ファイルに保存して、そこにフィルタ文字列を適用しました。NSC 光線追跡の Python コマンドは、次のとおりです。
NSCRayTrace = TheSystem.Tools.OpenNSCRayTrace()
NSCRayTrace.ClearDetectors(0)
NSCRayTrace.SplitNSCRays = True
NSCRayTrace.ScatterNSCRays = True
NSCRayTrace.UsePolarization = True
NSCRayTrace.IgnoreErrors = True
NSCRayTrace.SaveRays = True
NSCRayTrace.Filter = f"X_WAVERANGE({objectNum}, {lambda_min}, {lambda_max})"
NSCRayTrace.SaveRaysFile = "IR_thermalDetector.ZRD"
NSCRayTrace.Run()
NSCRayTrace.WaitForCompletion()
NSCRayTrace.Close()
最後に、ZRD ファイルからフィルタ処理されたデータセットを解析するためにディテクタ ビューアを使用しました。
DetectorView = TheSystem.Analyses.New_DetectorViewer()
DetectorView_Settings = DetectorView.GetSettings()
DetectorView_Settings.RayDatabaseFilename = "IR_thermalDetector.ZRD"
DetectorView_Settings.ShowAs = ZOSAPI.Analysis.DetectorViewerShowAsTypes.FalseColor
DetectorView_Settings.Filter = f"X_WAVERANGE({objectNum}, {lambda_min}, {lambda_max})"
DetectorView.ApplyAndWaitForCompletion()
DetectorView.Close()
温度測定
すべてのシミュレーションを実行し、目標温度範囲の結果を収集したら、ZOSAPI を介して SciPy パッケージの最適化および補間の追加機能を使用し、測定データに佐久間 = 服部関数をフィッティングしました。妥当なパラメータにより適切にフィッティングできるように、文献に従い、曲線フィッティング アルゴリズムの初期値は、中心波長 λ0 とディテクタのスペクトル範囲 (8 ~ 14 μm) の幅 Δλ に基づいて設定しました。
$$ A=\lambda_0 \cdot \left(1-\dfrac{\Delta\lambda^2}{2\lambda_0^2} \right)= 9.3636 \, \mathrm{\mu m} $$
$$B=\dfrac{c_2 \, \Delta\lambda^2}{24\lambda_0^2}=1.7836 \cdot 10^{-4} \, \mathrm{m \cdot K} $$
以上の較正プロセスの結果を視覚化した図を次に示します
較正が完了したら、熱放射ディテクタは正確な温度測定にも使用できるようになります。この段階に至れば、未知の物体の温度を、ディテクタで検出された信号と逆佐久間 = 服部方程式によって計算できます。温度計の較正プロセスは、全信号に対して一括して実行できます。温度計は、全視野の平均温度を測定しているだけだからです。全視野は、測定対象の物体で満たされているはずであるため、OpticStudio では較正とその後の測定で同じ光源を使用できます。これに対して、熱画像カメラの場合、較正は全視野を覆う大きな光源を使用して行い、その後のデータ処理と曲線フィッティングは、正確な温度マップを得るためにピクセル単位で行う必要があります。この方法ならば、較正によってディテクタの各ピクセル間のばらつきも考慮できます。熱画像カメラのアプリケーションをシミュレートするために、今回のモデルでは、装置の全視野を覆う大きな較正用光源 1 つと、これより小さく、形状、サイズ、位置、温度が異なる 3 つのテスト用光源を使用しました。
OpticStudio でシミュレートしたインコヒーレント放射照度と、ZOS-API によって生成した温度マップを下図に示します。
徹底した較正プロセスを経て、温度ディテクタは 1K よりも小さな精度を実現できます。通常、市販されているサーマル カメラの場合、対象となる物体、ホットスポット、顕著な温度勾配などを識別するための画像の後処理アルゴリズムが追加されています。
まとめ
この記事では、赤外線温度ディテクタを OpticStudio のノンシーケンシャル モードでモデル化する方法を紹介しました。黒体光源の熱放射をモデル化し、赤外線ディテクタで結果を収集する方法を解説しました。さらに、API を使用して温度ディテクタを較正する方法と、較正した装置で正確に温度を測定する方法についても触れました。
参考文献
- Hajnoor, Elshafia, Ahmed. IR optical system design of uncooled thermal imaging camera in long band (8-12μm). IOSR Journal of Applied Physics, 6(5):32-40 (2014).
- Yoon, Khromchenko, Eppeldauer. Improvements in the design of thermal infrared radiation thermometers and sensors. Optics Express, 27(10):14246-14259 (2019).
- Lane, Whitenton. Calibration and Measurement Procedures for a High Magnification Thermal Camera. National Institute of Standards and Technology, US Department of Commerce, NISTIR 8098 (2015).
- Size-of-Source Effect in Infrared Thermometers. Measurements Standards Laboratory of New Zeland, MSL Technical Guide 26, (2017).
- Saunders. General interpolation equations for the calibration of radiation thermometers. Metrologia, 34:201-210 (1997).
- Usamentiaga, Venegas, Guerediaga, Vega, Molleda, Bulnes. Infrared thermography for temperature measurement and non-destructive testing. Sensors 14(7):12305–12348 (2014).
コメント
記事コメントは受け付けていません。